日本語発表会「日本語で話す私の思い」 井上イレアナさん原稿全文

メキシコ出身(しゅっしん)の井上イレアナと申します。よろしくお(ねが)いいたします。

研修(けんしゅう)で日本に初めて()たのは2007年の時でした。企業(きぎょう)のありかたと日本語を2年にわたり(まな)び、2009年に帰国(きこく)しました。

現在(げんざい)は狭山市の小学校で学童(がくどう)保育室(ほいくしつ)指導員(しどういん)として活動(かつどう)しております。

早速(さっそく)ですが、この間、パスポートの更新(こうしん)をするためにメキシコの大使館(たいしかん)()ました。

日本(にっぽん)政府(せいふ)機関(きかん)が集まる都内(とない)でも有数(ゆうすう)一等地(いっとうち)永田町(ながたちょう)2丁目にメキシコ大使館があります。この(あた)りに 大使館はメキシコ大使館しかありませんので、(おどろ)きました。

この土地は、日本側 から 提供(ていきょう)されたものだそうです。

なぜ、メキシコだけこんなに(こう)待遇(たいぐう)なのでしょう?この()いを()くカギは、明治(めいじ)時代(じだい)にあります。

 

1874【明治7】年、金星(きんせい)太陽面(たいようめん)通過(つうか)し、地球(ちきゅう)大接近(だいせっきん)するという、(てん)文学上(もんがくじょう)(だい)イベントがありました。その観測(かんそく)に、日本が(もっと)(てき)しているということがわかったので、各国(かっこく)は ()観測(かんそく)地点(ちてん)を求めて早々(はやばや)()()んできました。

ところが、メキシコは、まだ日本と国交(こっこう)(むす)んでおらず、さらに初動(しょどう)(おく)れたため、観測する土地を確保(かくほ)できずにいたのです。完全(かんぜん)に乗り遅れてしまったメキシコでしたが、【世紀(せいき)の天文ショーを観測したい】という(おも)いにかわりはありません。

そこで、日本(にぽん)政府(せいふ)に観測のための土地(とち)(てい)(きょう)してくれるように、(もう)し入れをしました。

国交(こっこう)(むす)ばれていないといいうことを思えれば、当然(とうぜん)のことかもしれませんが、それでも、メキシコの(ひか)え目な態度(たいど)は日本政府にとって、よほど(この)ましく(おも)えたのでしょう。

 

このことに感激(かんげき)したメキシコ観測(かんそく)団長(だんちょう)は、自国(じこく)政府(せいふ)にほんとうの国交(こっこう)樹立(じゅりつ)提言(ていげん)

それを受け、1888(明治21) 年、(にち)(ぼく)修好(しゅうこう)通商(つうしょう)条約(じょうやく)締結(ていけつ)されたのですが、これは、アジア以外(いがい)の国としては、日本が初めて結んだ平等(びょうどう)条約(じょうやく)でした。

その感謝(かんしゃ)(あかし)として、メキシコ大使館の創設(そうせつ)にあたり、日本政府は一等地(いっとうち)である永田町(ながたちょう)をメキシコに(てい)(きょう)したのでした。

 

それから およそ60年、第二次(だいにじ)世界(せかい)大戦(たいせん)(やぶ)れた日本は、戦後(せんご)復興(ふっこう)象徴(しょうちょう)として、東京オリンピックの実現(じつげん)目指(めざし)し、中南米(ちゅうなんべい)諸国(しょこく)(たい)して招致(しょうち)活動(かつどう)展開(てんかい)しました。

この時、真っ先(まっさき)東京(とうきょう)支持(しじ)表明(ひょうめい)してくれた国が、メキシコでした。この招致活動では、ロサンゼルス在住(ざいじゅう)の日系2世フレッド和田が活躍(かつやく)するのですが、【東京(とうきょう)開催(かいさい)最初(さいしょ)支持(しじ)してくれたメキシコへ恩返(おんがえ)し】と、東京の次のオリンピック開催(かいさい)都市(とし)立候(りっこう)()したメキシコに対し、彼はあらゆるノウハウを伝授(でんじゅ)し、メキシコオリンピックの実現(じつげん)尽力(じんりょく)しました。

 

このように現在(げんざい)(いた)るまで両国(りょうこく)(きずな)(かた)(むす)ばれてきたのです。

これからも、ますます絆が強くなるために私はメキシコ人の一人として、活動(かつどう)していきたいと(おも)います。

 

本日の発表会(はっぴょうかい)参加(さんか)させていただき、ありがとうございます。

                                       以上(いじょう)

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